飨应役

更新时间:2022-05-29 08:08

飨应役(きょうおうやく)是江户时代的幕府为了接待天皇、上皇、皇后派到江户的使者(敕使、院使、女院使)而设的官职。一般由外样大名担任。

毎年正月幕府将军会派遣高家格的旗本前往京都向天皇和太上天皇贺年。天皇和太上天皇会在2月下旬到3月中旬派遣敕使和院使回访江户。这是江户时代固定的仪式。敕使和院使在江户的时候由飨应役负责安排伙食、进贡、以及解闷。

敕使飨应役必须由4万石到7万石的城主格外样大名担任、院使飨应役由1万石到3万石的阵屋格外様大名担任。敕使和院使的接待要花费大量钱财、幕府因为不愿出这笔钱所以委任外样大名担当。同时为了防止在接待中发生违反宫廷礼节的行为会为飨应役指定高家作为指导。这种制度是德川实纪在宽永9年(1632年)制定。

除了贺年以外敕使或院使来江户或者日光都会有飨应役陪同。

宽永9年(1632年):沟口善胜(泽海藩主1万4000石)

宽永18年(1641年):沟口宣直(新发田藩主6万石)

正保2年(1645年):京极高和(丸亀藩主5万石)

正保3年(1646年):水谷胜隆(备中松山藩主5万石)

正保4年(1647年):胁坂安元(饭田藩主5万5000石)

庆安1年(1648年):黒田长兴(秋月藩主5万石)、织田信胜(丹波柏原藩主3万6000石)

庆安4年(1651年):胁坂安元(饭田藩主5万5000石)

承応元年(1652年):仙石政俊(上田藩主6万石)

明历元年(1655年):胁坂安元(饭田藩主5万5000石)

明历2年(1656年):小出吉英(出石藩主6万石)、伊东祐久(饫肥藩主5万1000石)

宽文8年(1668年):浅野长直(赤穂藩主5万3000石)

天和3年(1683年):浅野长矩(赤穂藩主5万3000石)

元禄1年(1688年):黒田长重(秋月藩主5万石)

元禄2年(1689年):仙石政明(上田藩主5万8000石)

元禄3年(1690年):亀井兹亲(津和野藩主4万3000石)

元禄4年(1691年):沟口重雄(新发田藩主5万石)

元禄5年(1692年):京极高豊(丸亀藩主5万8500石)

元禄6年(1693年):秋田辉希(三春藩主5万石)

元禄7年(1694年):亀井兹亲(津和野藩主4万3000石)

元禄8年(1695年):黒田长清(东莲寺藩主5万石)

元禄9年(1696年):浅野长澄(三次藩主5万石)

元禄10年(1697年):伊东祐実(饫肥藩主5万1000石)

元禄11年(1698年):亀井兹亲(津和野藩主4万3000石)

元禄12年(1699年):锅岛直之(莲池藩主5万2600石)

元禄13年(1700年):稲叶知通(臼杵藩主5万石)

元禄14年(1701年):浅野长矩→户田忠真(佐仓藩主5万3500石)

元禄15年(1702年):相马叙胤(相马中村藩主6万石)、蜂须贺隆重(阿波富田藩主5万石)

元禄16年(1703年):黒田长清(东莲寺藩主5万石)

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